日本史と山との接点、日本人と信仰の関係性など
日本各地に散らばる霊山、信仰の山を訪ねる旅。
◆山旅はココロの故郷への里帰り
私達のお祖父さん、お祖母さんの世代までの千数百年間、日本の多くの地域おいて、人々は山に神を祀り、山からその恩恵を頂いているのだ、という実感の元、日々の生活を営んでいました。ですが、現代の都会の中に生き、山神様の恩恵よりも、Googleやi-phoneの恩恵を知り過ぎている私達はいまさら、そのような敬虔な信仰の生活に戻る事は難しいと思います。ただ、幸いにして私達、登山を愛する人間は、現代に生きながらも、多かれ少なかれ自然の偉大さ、人知を超えた恐ろしさといったものを経験しており、その気になれば、その忘れてしまった感覚を少しは思い出す事は出来るのではないかと思います。
神様百名山では、私達のお祖父さん、お祖母さんの世代まで長年日本人が築いてきた、山や自然との共生、共存という概念を、そして、山神様との絆を少しでも取り戻す事を目的の一つに挙げたいと思います。山へ向かう旅ではありますが、それは私達の心の故郷への「里帰り」でもあるのです。
皇居外苑に佇む南北朝時代の英雄・楠木正成の銅像。明治時代に作られたこの銅像を四季折々、昼夜を問わず3年間に渡って撮影し、古典文学『太平記』のストーリーにあわせて再構成しました。平成30年は明治維新150周年の年。明治維新の原動力となったのは、太平記に描かれた楠木正成の情熱的なストーリー。維新の志士たちが憧れた楠木正成を現代によみがえられせます。
平成30年5月には楠木家菩提寺の大阪河内長野市の古刹・観心寺にて,10月には、明治神宮武道場・至誠館にて写真展を開催させていただきました。このあと、その他の楠木正成公と所縁の地での写真展開催を予定しております。
この時代は、良いも悪いも現代に続く日本人の精神性を形作った時代ともいえ、この時代を知ることは、現代の日本を見つめることにも繋がっている、と考えています。
また、江戸時代以来、日本人は様々な芸術を通じ楠木正成公への憧れを表現してきました。間もなく終わろうとする平成の時代にも、その流れを途絶えさせるのではなく、写真を通じて時代へ引きつぐべき、楠木正成像を表現します。
日本史に秘められたドラマ、山と歴史の接点を追う。
◆和歌と山と 宗良親王
今からおよそ700年前。南北朝時代の我が国は、その歴史の中でも異常ともいえる事態をむかえていました。この時代の混乱により中世の秩序が崩壊し、「下克上の世」戦国時代が生まれたともいえます。同時にそこには、失われた信義の柱を建て直そうとする人々も存在し、それらの人々のドラマは「太平記」に残され、長く日本人の記憶にとどまりました。
宗良親王は、信濃宮とも呼ばれ、父である後醍醐天皇の命を受け、日本の歴史をあるべき姿に戻すための戦いに生涯を費やしました。人生の大半を山野で過ごされ、40年以上に渡って転戦し、関東甲信越の山々を踏み越え、各地の山にその足跡を残しています。世の中は「婆娑羅大名」に象徴される非道のまかり通る世の中でしたが、親王の訪れるところ、少ないながらも各地に支援者が現れ、ここぞという所で親王を助けていきます。その模様は義経の奥州落ちを支えた周囲の人々のようでもあり、各地で忠義のドラマが生まれていきます。また、親王は「歌の聖」でもあり、戦いの間にも片時も筆を離さず、生涯に二千首以上の和歌を残されました。それらの歌は500年の後、明治維新の志士・坂本龍馬や久坂玄瑞などによって愛唱されていたといいます。
各地に散らばる親王の足跡を訪ね、和歌によまれた情景を、写真に残す試みを行っています。
気候変動により、年々、世界各地で雪不足が伝えられています。そんな中、豊富な雪に恵まれる日本は
今や世界的な雪国リゾートとして注目されています。そんな日本の山岳滑降の世界を追い、
レクリエーションとしての山スキー、スノーボードの写真を撮影しています。
(C) 2014 Yuske Hirota