このタイトル、誰の言葉だか、わかりますか?
そう、昭和の国民的歴史作家・司馬遼太郎の言葉です。
”職人。実に響きがよい。日本は世界でも珍しいほど職人を尊ぶ文化を保ち続けてきた。
近隣の中国や韓国では職人を必要以上にいやしめてきた事に比べれば、
日本は「重職人主義」の文化だったとさえ言いたくなる。
『この国のかたち』より
こんな言葉を残してます。
半世紀に渡って日本の隅々まで歩き、歴史に遡って日本を歩き尽くした方の言葉ですからね。
重みが違います。
今回、執筆にかかわらせてもらったDiggin Magazineのカタログ号を眺めて、
マジマジと思いましたよ。
「日本人ってなんでこんなにモノづくりが好きなのだろう」と。
スノーボードって、もともと、
アメリカから入ってきた反動的な遊びですからね。
昔は、こんな恐い人が、
こんなカッコしたビデオ出して、
こんな風に滑ってた時代もあったんですからね。
それが日本に入ってくると、
すごく洗練されて、スマートな道具に生まれ変わったり、
今じゃ逆に、世界のスノーボード作りに影響を与えたりしています。
それも、これも、日本に『職人』を尊ぶ気質があるからなんですね。
前述の司馬遼太郎は、なぜ職人を尊ぶのか?
という問いに対し、明確な答えは出していませんでした。
ながらく不明だったその問いに、
明確に答えてくれていたのが、この本。
この中で、菅野さんは、日本文化を神さまの祭祀(まつり、もてなすこと)という視点から捉え、
”日本人の勤勉や物つくりの理念を支えているのは、自分たちの物をつくっているのではなく、神さま(=お客さま)のために作っているという無意識の目標なのではないかということである。
『神道の逆襲』より
確かに、スノーボードでも、神社に奉納するってなったら、手抜きで作ったりしませんものね。。。
逆に、この感覚が抜け落ちると、日本人でも、手抜き工事やら何やら、
毎度ニュースを賑わす不祥事が発生するのかもしれません。
しかし、現代の感覚だと、職人ってあまり流行らないですかね。
同じものを作るのだったら、
『クリエイター』と『職人』だったら、クリエイターのほうと結婚しちゃいますかね?
でも、工業化以前の時代には、
職人って、ものすごく創造性を必要とされたらしいですよ。
とくに、何百年も伝統を保っている刀鍛冶とか宮大工とか。
大量生産の時代に生まれると忘れがちになりますが、
自然物って、同じものが一つとしてないんですね。
だから、自然素材を使って、同じものを大量に作るのって、
職人自体がものすごく柔軟で、創意工夫がないと出来ないんです。
そして、そういうのが最も顕著なのが、先にあげた二つの職人です。
刀鍛冶と宮大工。
何しろ、千年前と同じものを生み出そうとするわけですからね。
今とじゃ地球環境も違うし、人間の思想も、体質も、素材も何から何まで当時と違う。
それを現代に復活させようとするわけですから、
それは、それは物凄い創造性ですよ。
そして、それらはすべて「創造的再生産」とすごく謙虚に言われるのです。
この壁のあのラインをはじめて登った!
と思ったら、実は20年も前にどこかの誰かが登っていた、
あるいは滑っていた、というのはよくある話です。
江戸時代に、日本で最初の全身麻酔を用いた外科手術(アメリカより40年も前!)
を成功させた華岡青洲は実験に成功したあと、こういったと言われています。
「これでようやく華陀(古代中国の医聖。曹操の典医)の真似事ができる」
この世にクリエイティブな人はいても「クリエイト」などない、
ということを知っているのですね。
なんだよ、全然、スノーボードの話じゃねーじゃん。
と思った方、是非、Diggin Magazine Catalog号をご覧ください(笑
遊びが遊びでなくなってしまった人々が作った、
面白いほどクリエイティブなToyが載っています。
(Ogasaka工場潜入レポート、巻頭コラムと写真、スノーボードブーツに関して書かせていただきました。)
YH