大菩薩峠の麓、大和村出身、生粋の甲斐源氏であられる天野さん。
最近、ICI石井スポーツ登山学校の校長に就任されました。
子供の頃から、学校帰りに、制服のままでも、一人で大菩薩峠に登っていたという
天野さん。
地元、甲斐の国の英雄・武田信玄を敬愛してやまない彼は、
麓にある武田家の菩提寺、天目山栖雲寺を案内してくれました。
また、今回はピークではなく、峠を主体に考えていきました。
昔から日本では、峠には神がおわす、と考えられ、
峠神、峠そのものを神と捉えてきました。
西日本では峠神は柴折の神とも呼ばれ、各地に分布しているそうです。
これは、峠に差し掛かると疲労を覚えるため、
悪霊の仕業と考えた人々が、柴を折って捧げると回復が早まる、
と考えたためだと言われています。
大菩薩峠といえば、中里介山の「大菩薩峠」が有名ですが、
私にとっての小説・峠というと、
中学生の時、初めて読んだ小説が、司馬遼太郎の「峠」でした。
だから、という訳ではないのですが、昔から峠という文字には並々ならぬ想い入れがあり、
大好きな字の一つでもあります。
「八十里 腰抜け武士の 越す峠」
という辞世の句を残し、越後から会津へと向かう八十里を超え、
世を去っていった河井継之助。
物語の始まりも、雪崩の危険を犯しながら、雪深い三国峠を超えるシーンからはじまり、
継之助の波乱の人生を、暗示しています。
まさに、人生の中で、大小様々な峠を越し、
その度に、大きな転換を図ってきた様が描かれています。
継之助の人生の中に、司馬遼太郎は峠という存在の不可思議さを重ねあわせていたのかもしれません。
もう一つ、「峠」という字は和字だそうで、
感じではなく、ドメスティックな字だということも、好きな理由です。
昔の人が、「トウゲ」という音に、この字面を創作したセンスに脱帽です。
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その他、ランドネ誌の特集は「冬のピクニック」について。
混ぜてもらいたい(笑)
雪が降る前の間、
陽だまりの中、芝生でゴロンもいいですね。
YH
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