発売中のスノーボード雑誌「Diggin Magazine Vol.7」は丸々一冊、白馬特集です。
丸々一冊、一つの村の特集とは、すごい話。
今時、このような大胆な企画を商業ベースの雑誌で行う編集長のダイゴさんの度胸に敬服です。
(そしてそれにGOサイン出してくれる出版社側も)
私のほうは記事を二点書かせて頂きました。
不帰ノ嶮Ⅱ峰スノーボード初滑降にまつわる岩見哲也さんの話と、
青春時代をともに山で過ごした鈴村新君の話です。
タイトルの言葉、私のポリシーです。
もちろん、いつも出来る訳ではないですが、
バックカントリーでのスノーボード/スキー写真の真髄は、
ファインダーの中にそれ以上高い所がない地点まで登り、そこから滑り降りること。
多くの美しい風景写真は、適切な比率で背景を巧みに取り入れ、
構図に安定感と奥行きを与えています。
そしてそれは、多くの場合、手の届かない遠くの景色であることがほとんど。
それが技術的に上手い写真家であればあるほど、美しい写真が生まれます。
(もちろん、私の技術もまだ未熟だと自覚しての上ですが)
しかし、そこには何かが足りない。と思ってしますのです。
何が足りないのか?
一つはリアリティ。
美しいだけの写真とは、つまりはリアリティの欠如した写真。
いわば「絵葉書」のような、写真かもしれません。
美人は三日では飽きませんが、美しい写真は、三分で飽きてしまいます(笑)
昔よく撮っていた、こういう写真です(美しいかどうかは別として)
↓
そして、もう一つは人間の息吹。
手の届かない背景が入ることによって、そこには人間の「ちっぽけさ」だけが強調されてしまうのです。
しかし、滑っている人間はいつだって必死で、リスクを引き受け、いつでも現実に正面から立ち向かっています。
そのような、いわば心臓の「鼓動」が聴こえてくるような写真を撮るためには、
極力、余計なものを排除し、被写体をわしづかみにしなければなりません。
ただでさえ、多くの場合、写真家は被写体より安全な位置にいますからね。
キャパのノルマンディ上陸作戦の写真だって、あれがもし絶対に死なない安全な位置にいたら、
写真からあのような迫力が生まれる訳がないのかもしれません。
しかし、いたずらにリスクを引受けたり、苦労したりすることがよい写真の条件とは限らない、
というのも、写真の難しいところ。
登山やスノーボードの写真でいえば、
「この一枚を撮るために、俺はあれだけ高く登って、これだけ遠くまで行ったんだぞ」
というやつです(笑
土門拳もこの「撮影の苦労」に関しては
「写真には敢闘賞はない」
という言葉で一刀両断しています。
やはり、写真家にとっては、出来上がった写真の本質こそが評価の対象となるわけで、
それに至る苦労などは、ごく個人的なことであるというわけです。
確かに、仮に写真家の苦労が伝わってくる写真が存在したら、
そんな写真は貧乏臭くて見てられないかもしれません…。
そして、最後に足りないものの一つ。
それは、ストーリーかもしれません。
その一枚の写真から前後のストーリーが伝わってくれば申し分がない。
本来は静止した過去である写真から、
さらにその前の時間、現在、さらには未来へと続く時の流れを感じさせるような写真です。
それは、ファインダーの外を想像させる写真であり、
映画のように、人生の時間を圧縮した写真といってもいいかもしれません。
スキー、スノーボード、登山といったスポーツの写真にも、
被写体の「人生」を打ち込むことは可能だと思うのです。
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「では、お前の写真を見せてみろ!」
「へい、わかりやした。。。」
Diggin Magazine Vol7 ,
LANDMADEで使って頂いた、
「白馬岳山頂より白馬沢を滑る鈴村新の図」
等々で(笑)
感じていただければ有り難いです!
YH
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