後だしジャンケンの話の続きで。
●人間という生き物の悲しい属性について
「人間はミスを犯す生き物である。」
この事を、深く深く肝に命じている人間ならば、
決して、すでに多大なる犠牲を払った人々に対して、後だしのジャンケンはしないはず、だと信じています。
ミスを犯し、すでに多大な犠牲を払った人間の行動を、非難する気持ちが言動に現れてしまう人と、
自分もミスを犯すとわかっているので、ミスのメカニズムや、ミスが導いいた結果について考察する人では、全く違いますよね。
あるいは、メカニズムを解明したい気持ちではじめた考察が、
難しすぎるので、いつの間にか、単純に犠牲者の行動を非難することが目的になっているケースも見受けられますが。。。
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●偉そうな事言ったって自分の経験も間違いだらけだったの可能性がある
「つまり、雪崩地形に行っても何も起こらない。もう一度行っても何も起こらない。
さらにくり返し行っても、まだ何も起こらない。そう、味をしめるのだ!
だが そこには決定的な事実がある。積雪は95%の確率で安定しているのだ。
つまり 、雪崩についてまったく無知でも、20回に19回は何も起こらない。
これは かなりの勝算だろう。だが 逆を言えば、20回に1回は、とてつもない恐怖、打撲、ケガ、あるいは死を味わうことになる。」
「みつを」 は貧乏臭くて好きではありませんが、
友人が教えてくれた言葉の一つに、共感できる言葉があります。
それは
「所詮、わたしのすること」
というものです(笑
そう、「ヒューマン・ファクター」という洒落た言葉を、
日本語訳すると、「所詮、わたしのすること」になると思っています。
プロとして、メカニズムを考察することは、続けつつ、
一方では、こういった人間(特に自分)に対する健全な懐疑心は持ち続けたいと、常々思います。
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●自分は信用ならないが、人類の歴史は信用そのものである。
戦国最強と言われた武田家家中には、
「決して敵を謗ってはならない」
という厳しい掟があったそうです。
犠牲者の行動を非難することと、敵をそしることは、ちょっと違いますが、
導かれる結果が同じという点では、同じです。
つまり油断が生じる。
敵(教訓、雪崩)から学べない。
なぜ、しつこく、この話題に拘るかというと、
後だしジャンケンは、それ自体が危険な行動だと思っているからです。
戦国武士からすれば、
すなわち、人心を惑わし、家を危うくするものであると。
以上です。
結論はございません。
自戒のために、書きました。
YH
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